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LIXIL Advanced Showroom

LIXIL Advanced Showroom 10周年イベント~これまでの10年、そして未来~著名人対談企画vol.1_環境南極料理人_篠原洋一さん×鈴木社長

”これまでの10年を振り返り、これからの10年に向けてわたしたちは何をするべきか?”という点にスポットを当て、各分野の著名人をお迎えし対談を行った全3回シリーズの第一弾。
今回の篠原洋一さんとの対談では、7つの海を航海し感じた篠原さんのリアルな地球環境を感じる体験を伺いながら、われわれができることを考えていきます。

小さな積み重ねの継続によって実現した“南極料理人”になる夢

篠原

私は高校を卒業して板前になり、そのときに北海道大学の先生から聞いた南極の話に心を打たれてオーロラが見たいと思いました。
それから約10年後の29歳の時に初めて33次南極観測隊に参加してきました。
その後、豪華客船の飛鳥と飛鳥2で世界一周を何度か経験したのですが、地球を横周り9回、縦周りを1回いれて世界10周。約70か国、200都市に行くことができました。
そして、再びオーロラが見たくなって、再度、南極観測隊にチャレンジし46歳で2回目の50次南極観測隊に参加できました。

鈴木

オーロラを見てみたいなあと思うようなきっかけとしてどんなことがあったんですか?

篠原

僕は札幌出身なのですが、北海道大学の低温科学研究所の清水先生にお会いする機会があり、その時にオーロラの話を聞きました。それがすごく面白かったので「もっと話してください、」と言ったら、「これ以上オーロラの話をしても、100分の一も伝わらないから自分の目で見なさい」って言われたのが最初ですね。「自分の目で見ろと言っても、偉い先生しか南極は行けないですよね」と聞いたところ、「南極観測隊は研究者と基地を維持する設営隊がいる。機械とか通信とかの隊員。そして皆、飯を食べるからお前が料理人を始めたんだったら行くチャンスがあるよ」と言われました。
そこから、”頑張ればオーロラを見れる”ということが自分の希望になり、夢にもなっていっていきました。それから枕元にオーロラの写真と南極観測船の写真を貼って、毎朝それを見て、夢の実現のため!と自分を奮い立たせて頑張り続けました。

鈴木

素敵な出会いがあったんですね。その夢から南極観測隊に選ばれるまでは何年かかったのでしょうか?

篠原

10年かかりました。
行きたいと思ってから10年ですね。その間に料理人としての修行ができましたので、10年という期間があったことはちょうど良かったと思います。

鈴木

私たちもこの会社が設立されて10年。振り返ってみますと目標に進み続けることの難しさを感じてきました。篠原さんは10年間1つの目標に向かってひたすらにつきすすんだわけですが、途中でやめようかな、と思われなかったのでしょうか?

篠原

いやあ、思いましたよ。清水先生に「南極に行くことは諦めた方が良いんですかね?」と聞いたことがあるんです。その時に言われたのが、「諦めるってどういうこと、板前やめるってこと?別にお前が板前続けるだったら諦める必要がないじゃないか」という言葉でした。
その時にハッとしたんです。物事を達成するには大きな夢ってなかなか叶わないじゃないですか。だけどその時から僕は、「小さな諦めないを積み重ねるということだったら俺だってできるんだ」と思い頑張ることができました。そして、諦めないを積み重ねることの大切さを実感したんです。

鈴木

本当に小さな積み重ねの継続が大切ですよね。ご自身が積み重ねただけに重みがありますね。その積み上げた10年が結果になって南極観測隊に入れることになった時、どう思われましたか?

篠原

いやもう感動でした。そこですぐに清水先生に連絡したんです。「先生ありがとうございました。受かりました」と伝えたのですが、「南極の地を踏むまでは行ったというな、歓び過ぎていけなかったやつも何人もいるんだ」と言われました。(笑)

鈴木

なるほど、決定してすぐに行けるというわけでもないのですね。難しいですね。でもそれでついに篠原さんは南極に行けたという事ですね。ではここから南極について詳しく教えていただけますか。

南極の氷は実は増えている

篠原

温暖化に直面している現在、非常に暑く高気温の記録が更新され続けているのは南極も同様です。しかし、地球自体は氷河期に向かっているという研究者もいます。文明圏が熱い空気を出し続けることが異常気象や大きな台風の要因になっているとも言われています。

鈴木

よく聞く話だと思いますが、南極の氷は温暖化によって増えているのか減っているのか?やはり、実際に南極の氷は減っているのでしょうか?

篠原

一般的には減っていると言われていますが、実際には氷自体は増えています。
なぜかというと、文明圏で熱い空気が出ることで作られる水蒸気が上昇し、南極大陸に降る雪が増えているからです。また、氷は厚くなっています。

鈴木

増えているんですか、それは知らなかったです。もう南極の氷がどんどん溶け出して、海に流れているというイメージしかありませんでした。他に環境面で何かありますか?

南極の夜に輝く美しい夜光雲

篠原

この写真は何かわかりますか?

鈴木

オーロラを違う角度でとったものですかね?綺麗ですね。

篠原

これは夜光雲と呼ばれるもので、以前はあまり観測されていなかったのですが、最近はちょこちょこ見られています。これはかなり高層の場所にゴミやチリが滞留していて、太陽が沈んだ後の光が当たって反射して見えているものです。これは汚染の証拠で、ここ数年、この現象が増えています。

鈴木

ゴミやチリが滞留したものだったんですね。

篠原

温暖化が進むと、CO2の排出量が増え、気温も上昇します。PM2.5のような黒いチリが夜光雲を起こす原因の1つです。
地球温暖化対策では、温度を上げないだけでなく、大気のゴミであるエアロゾルを出さないようにすることも非常に重要です。

鈴木

なるほど、ただ温暖化によって氷が解けているだけでなく他のさまざまな現象が南極でも見られている状況ということですね。
ところで、篠原さんは世界をまわる旅をされていて7つの海と7つの大陸を巡られていたのですが、そこでも何かいろいろなものを見られたと聞いてます。どのようなものを見て来られたのでしょうか?

海洋に浮かぶゴミの島、そして、世界の環境を守る取組みの今

篠原

日本からハワイに行って、そこからバンクーバーを経由してアラスカに戻るクルーズがあるのですが、ハワイからバンクーバーまでの航海中に、船の後ろのデッキから外を見ると、ゴミが数キロにわたって浮いているのが見えました。写真は撮れなかったのですが、プラスチック類がたくさん見えたんです。

篠原

このゴミ類はどこの国の領海でもないため、どの国も片付ける手段がありません。
そのため放置されていて、太陽の光を受けてプラスチックが崩れて沈んだ後、マイクロプラスチックになり、魚がそれを餌として食べると、人間にも戻ってくるというものです。
こんな状況を見て本当に驚きました。ゴミの大きさは数キロにわたっていて太平洋の真ん中に浮く小さな島になっているんです。

ゴミ問題を解消していくためにも、世界の環境保護に対する意識は高くなっています。アラスカのフィヨルドは、そこに入る際の船の排出基準も厳しくなっており、 当然、汚水やゴミの排出は許されません。
アメリカという大国でもフィヨルドに入る客船は1日2隻までと決められており、大型客船は予約が必要です。世界は自然に対する意識が非常に高いんです。
世界一周して見た脅威と日本以外の社会の変化を感じました。

一人ひとりができることを実施し、会社としてできることにちからを入れる

鈴木

これは本当に世界中をまわられたからこそ感じられたことですね。世界中の至るところで警鐘がならされているのですね。そのような中で、私は、私たち一人一人ができること、誰でもできることを多くの人が行動することが大切だと思います。

篠原

そうですね。無理やりやっても続きません。例えば、買い物の際に、今まではお店のビニール袋を毎回新しいものを使っていたものを、使ったビニール袋をポケットに入れておいて何度か使うなど、そういったことが大切ですね。

鈴木

そうですね。何をやれば良いのかわからないと思う人もいますが、まずはできること、日々の生活を顧みることですね。篠原さんのおっしゃる通りエコバックを買わなくても袋を使いまわすという行動でもビニール袋の使用量は半分以下にすることができます。一人ひとりが可能な範囲で行動を変えていくことが重要ですね。

鈴木

篠原さん、本日はありがとうございました、考えていた南極と違い、想像もつかない話もありましたが、現状を知り、私たち一人ひとりも地球の一員としてできることを実施していきたいと思います。
また、一人ひとりができることをする大切さを改めて認識するとともに、会社としても今まで以上に力を入れていく必要があると考えました。
今までと同じではいけない。
今日、篠原さんとお話させていただくことで強く確信しました。
会社としても今後更にできることを検討していきたいと思います。

<プロフィール>
篠原洋一さん
幼少期より食と旅に興味があり、料理人となる。
オーロラに惹かれ、10年かけて1991年に第33次南極地域観測隊で南極行きを実現。
帰国後、「飛鳥」「飛鳥Ⅱ」の和食調理人として乗船し、約70ヵ国200都市を14年乗船してまわる。
2008年、第50次南極地域観測隊に再び参加。
2010年に帰国し、旅好き船好き南極好きが集まるレストラン&バー「Mirai(みらい)」を開店、現在に至る。